石原プロの元専務逝く!名物番頭のその晩年とは!?

故石原裕次郎さんを支えた石原プロモーションの元専務、小林正彦さんが10月30日朝、虚血性心不全のため都内の病院で死去した。80歳。三重県出身。葬儀は近親者で行った。小林さんは石原プロを設立した裕次郎さんの右腕として会社を背負い、70年代に多額の負債を背負い倒産の危機にあった石原プロを立て直しただけでなく、「西部警察」をはじめとする人気テレビシリーズで同社を再建した。
「コマサ」の愛称で知られ、裕次郎さんのファンからも慕われた名物番頭が裕次郎さんの元へ旅立った。
小林さんは10月30日午前8時すぎ、都内の外出先で突然体調を崩し、倒れた。救急車で病院へ搬送されたが亡くなった。
出会いは裕次郎さんが所属していた日活の撮影所に勤務していた59年だった。バイタリティーあふれる仕事ぶりが裕次郎さんの目に留まり、65年に石原プロに入社した。
70年公開の映画「ある兵士の賭け」の興行的失敗で経営状況が極めて深刻となった石原プロを立て直したのも功績。裕次郎さんが72年に「太陽にほえろ!」で、それまで軽視していたテレビドラマを制作。小林さんはその成功をヒントに、テレビ界への本格的進出を裕次郎さんに提言した。
「大都会」「西部警察」など制作したドラマを、広告会社を通さずに直接テレビ局にセールスする道筋をつけたり、世間の注目を集める「西部警察」の大掛かりなアクションシーンなどのプロモーション力で石原プロを再建。80年代には30億円相当の資産を持つ会社に急成長させた。当時を知る関係者は「裕次郎さんの広くて深い人脈をとてもうまく使うことができたのが、彼の才覚」と話している。
84年に裕次郎さんが肝臓がんを患ったときは兄の石原慎太郎元都知事が告知を望んだにもかかわらず断固拒否。その理由を「裕次郎さんは死ぬのが分かっていた。それなら最後まで石原裕次郎でいてほしかった」と周囲に語り、スターとしての裕次郎さんを守り抜いた。
最後の大仕事は09年7月5日の裕次郎さんの二十三回忌。国立競技場内に、裕次郎さんが眠る横浜・総持寺の本堂を再現し、12万人のファンを呼び込む一大イベントを執り行って日本中を驚かせた。
その1年8カ月後の11年3月、全てをやり遂げたかのように健康上の理由から専務を退任。そして、人生の全てをささげた裕次郎さんが立ち上げた石原プロから退社した。
◆小林 正彦(こばやし・まさひこ)1936年(昭11)1月1日、三重県生まれ。日活ホテルのホテルマン時代、バーでただ飲みした外国人プロレスラーをねじ伏せたことがきっかけで日活撮影所へ異動。裕次郎さんと出会い、65年に石原プロへ入社。11年3月に健康上の理由で退社した。愛称
「コマサ」。
出典元 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161102-00000145-spnannex-ent
2016/11/03 05:05
2016/11/03 05:26
2016/11/03 07:49
石原軍団をこの方無くしては語れない。
いろいろ言っても、この方達が活躍していた頃が一番良い時代だったのかもしれない。
2016/11/03 05:18
両輪がいてこそ成り立つのだな。
2016/11/03 05:16
2016/11/03 08:24
合掌m(__)m
2016/11/03 07:47
2016/11/03 07:57
2016/11/03 09:45
たくさん楽しませていただきました。ありがとうございます。
2016/11/03 09:00
退いてたとはいえ、何かしら関わっていただろうし、
寂しいが潮時かもしれない。
2016/11/03 07:47
2016/11/03 07:43
2016/11/03 09:38
2016/11/03 10:43
2016/11/03 09:56
ご冥福をお祈りいたします。
2016/11/03 09:33
2016/11/03 11:37
特に「西部警察」は。
2016/11/03 10:02
2016/11/03 09:52
2016/11/03 09:50
2016/11/03 09:24
2016/11/03 08:42
2016/11/03 09:35
社長と番頭が高いレベルでバランスを保てば保つ程、すごく稼げる。
どっちかが高くてもダメ。
今の日本はワンマン過ぎてここが分かってない。
2016/11/03 09:26
寂しい限りだな。
2016/11/03 11:54
2016/11/03 10:41
兄でも勝手に告知を望むかね。告知したらその様子も絶対「弟」のネタに使ってたな。
小林さんの方がよっぽど裕次郎を愛していたのがわかる。
2016/11/03 10:12
こうして足跡をみると、やはりこの人なくしては石原プロの成功はなかったように思う。
2016/11/03 09:49
お客さんに提供していた、その時に頭を下げていたのは、この方だと思う
実るほど頭を垂れる稲穂かな、だと思う。
2016/11/03 09:12
2016/11/03 12:51
2016/11/03 11:35
2016/11/03 10:29
2016/11/03 12:07
2016/11/03 09:52
2016/11/03 12:27
ってところが気になる。そして古き良き大らかな時代だったんだなと思う。
2016/11/03 12:08
2016/11/03 10:12
強面の優しさが忘れられません。
本当にお疲れさまでした。
裕ちゃんの屋台骨なのに時の流れに竿さしても
偉大な人守った功績は勲章が輝いてます。
やすらかにとおもうばかりです。
合掌
2016/11/03 09:15
2016/11/03 13:11
2016/11/03 11:52
2016/11/03 11:22
テレビ界の偉人が・・・
安らかに・・・
2016/11/03 11:12
2016/11/03 10:47
2016/11/03 12:39
渡も舘も 全然でなくなり 神田正輝ぐらいかなTVで見れるのは
一つの時代が終わったと同時に 石原家も 小さくなったね~
栄光も影をひそめ 最後は、慎太郎のお粗末で終わるのか~
2016/11/03 12:22
慎太郎を初め、息子の伸晃も、石原ブランドも。
石原軍団も自然消滅。
2016/11/03 12:14
2016/11/03 11:57
過ぎて・・だいぶと変わりましたね…
裕次郎さんの死去・渡哲也氏の社長引退と…
小林氏の他界と・・
ドラマ放映もなく、今後の石原プロは
どのようになるのか……?
ご冥福お祈りします・・
2016/11/03 11:21
2016/11/03 11:17
宍戸錠はもしかしてジャック・パランス顔にしたくて頬を整形したのか、日活無国籍西部劇とシェーンを見比べてそう思う、もちろん幕末太陽傳のような時代劇もあるけど。
2016/11/03 10:14
2016/11/03 14:10
昔イベントの時に写真を撮らせていただきましたが、小林専務だけを撮ろうとしたら「一緒に撮ろう!」と声をかけていただき一緒に写真に収まりました。とてもうれしかった思い出です。
2016/11/03 13:53
それはそれとして、名番頭と言われて、ほめ言葉と受け取る人が少なくなったなぁ。「俺、番頭なんかじゃないっすよ」という若い人も増えたし。これも時代か。
2016/11/03 13:48
独創的で自由な面白いドラマが出来たんだと思う。
今の小じんまりとした縛られた画一的なドラマは面白くなくて当然だ。
小林さんが現場で活躍していた頃のテレビ、映画に戻らせる方法はないも
のかと思う。引退されていたとはいえ、今の現場に箴言できる方が旅立た
れたことがつくづく残念でならない。
2016/11/03 13:47
2016/11/03 13:10
2016/11/03 12:58
2016/11/03 11:16
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